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三和システム株式会社 CTO 阿部順一のブログ

【エンジニア紹介①】 マーソ開発エンジニア 小泉

東京オフィスのエンジニアは、私が三和システムにジョインした当時(4年前)は4人しかいなかったのですが、現在パートナー含めて25人くらいまで増えています。各自がそれぞれ得意分野を持っていて個性的ですし、成長力とチーム力の高さは日本でもトップクラスなんじゃないかなーと思っています。

そんなエンジニアを、このブログで紹介していきます。その一発目として、現在一番の若手エンジニアをご紹介。サッカー部出身なのでフットサルでも大活躍。

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  • 小泉 慎成(24)
  • 所属:マーソ株式会社
  • 入社時期:2014年9月
  • 担当:マーソの開発

では、どうぞ。

学生時代はどのようなものでしたか?

中学〜高校時代は、文武両道のいわゆる優等生だったと思います。ゲームや音楽にも興味がなく、趣味といえるものが全くなかったので、部活のサッカーと勉強、恋愛少々という世間的に見れば理想的(笑)な少年でした。ただ、自分の中では、どこか刺激がなく、物足りないなと感じていました。

人生が大きく変わったのは、19歳の浪人時代です。現役でもMARCHと言われる大学には合格していましたが、同じ高校の人たちの手が届かない大学に入りたいという一心で、浪人しました。

浪人時代は大手の予備校には通わずに、単語王というベストセラーの英単語集を出版している中澤一先生という方が主宰する予備校へ通いました。中澤先生との出会いによって、現在の価値観、人生観などが出来上がったと言って良いと思います。格好良く言えば、人生のメンターに出会うことができました。

浪人時代には、それまでの自分の価値観を打ち砕くようなことをたくさん学びました。中澤先生は英語の講師ですが、偉人の考え方やキリスト教の教え等を英語の教材として、毎日自分の価値観に衝撃を与えてくださいました。受験は結果的に全勝で、第一志望の早稲田大学政治経済学部へ進学しましたが、正直、浪人時代に身につけた価値観、人生観、自信に比べると、合格という結果などは、とてもちっぽけなものだったと今でも思います。

大学進学後は、自分が通っていた予備校で、TA(ティーチングアシスタント)としてアルバイトをさせてもらっていました。それが楽しすぎて、また、中澤先生と接する時間をより多く取りたいと思っていたこともあり、週4〜5で勤務しました。

ご想像の通り、大学には全く行かなくなり、実質半年(籍は親が1年半くらいは残してくれていました)で退学しました。取得した単位は6単位です(笑)。今でも全く後悔はなく、むしろ、優等生だったときにはなかった刺激的な人生になっています。

中澤先生と浪人時代を含め約3年間、毎日のように一緒に過ごすことができ、ハワイにも連れて行ってもらい、一流人の立ち居振る舞いから、服装や言葉遣い、海外での行動の仕方など、大学に行っていたら学べなかったであろうことを多く学びました。

予備校のアルバイトも2年間の区切りで、真剣に自分の進路について考え始めました。「人生は選択できる」というのが、浪人時代に学んだ衝撃的な考え方のひとつにあります。親のため、世間体のためではなく、本当に自分が興味のあることは何なのか、毎日渋谷のジュンク堂書店に行き、興味を引くジャンルを探し回りました。その中で、毎日なぜか立ち止まりたくなるジャンルがITでした。客観的に振り返ると、その当時はITの仕組みがブラックボックスとなっていることがすごく嫌だったのだと思います。

そんな日々を繰り返して、未経験で入れるIT企業を探して応募しました。早稲田中退のブランドがあったので、引く手あまたでした(笑)。改めて、学歴社会が根付いているなと。いつかそんなくだらない学歴社会は壊したいとも思いました。

働き始めてからの経歴を教えて下さい。

1社目はかなり適当に決め、結局半年で辞めました。IT業界の構造もなにも知らず、当時はプログラムなのか、サーバなのかネットワークなのかすらよくわかっていませんでした。

とりあえず、飛び込んで見るか、という感じでしたので、この会社がかなりの下流工程を扱う下請けだということに半年くらいで気づいたのです。 ただ、この半年間で、IT業界の構造が少しわかったため、転職の際にも希望を伝えやすくなりました。 2社目は約2年間、上流工程でネットワーク設計ができ、Ciscoなどのネットワーク機器にも触れたので、結構楽しかったです。

なぜ三和システム(マーソ)に来たのですか?

ネットワークの分野は技術領域としてはとても重要で、面白く、今でも好きなのですが、仕組みを理解してしまうと、同じような業務の繰り返しになり、自分の成長に物足りなさを感じていました。また当時は、大手SIerからの受託案件をこなしていて、規模は大きいもののスピードがとても遅いという点が転職を考えるきっかけになりました。

3社目で今のマーソに関わることになるのですが、その時の転職理由は「プログラミングをやりたい」「楽しいことをしたい」の2つでした。プログラミング自体は未経験でしたが、ここでも早稲田中退ブランドは強かったです。マーソの社長も早稲田の政治経済学部出身ということで意気投合し、マーソに関わらせてもらうことになりました。

三和システム(マーソ)でのこれまでを振り返ってみてください。

マーソに来て、最初の3ヶ月はソースコードをひたすら読んで、格闘しました。簡単なタスクでも、バグを出してしまうという時期で、正直かなりしんどい期間だったと思います。

それでも3ヶ月を過ぎると、開発タスクも徐々に大きなものをこなせるようになってきますし、サービスの運用を通して、データベースの構造や、サービスの隠れた仕様などを理解できてくるので、どんどん楽しくなっていきました。

半年を過ぎると、自分一人で解決しながら開発できるようになってくるので、朝から終電までコードを書いて、テストを繰り返しました。技術の習得も速くなってくるため、楽しさの絶頂期です。私はプログラミングを始めて、1年と3ヶ月くらいが経ちますが、1年を過ぎると、どうすれば効率よくコードが書けるか、きれいに書けるかなど、プラスアルファの要素も考えられる余裕が出てきます。もちろん、まだまだ現状に満足していませんが、一人の開発メンバーとして数えてもらえるまでの期間としては1年くらいなのかなと個人的には感じています。

今後の夢や目標を語ってください。

まだまだエンジニアとしては未熟なので、20代はとにかく、フルスタックなエンジニアを目指して技術を習得していきたいです。その後、サービス開発に携わるのか、自分で立ち上げて経営者となりたいのか、また別の道に行きたいのかはまだ見えていません。サービスの運営や色々な技術を習得する課程で見えてくるものもあると思いますし、変化の激しい時代なので、その時々に自分が一番居たいと思えるところに居て、一番やりたいと思えることをやって日本や世界の成長に貢献できれば良いと思います。

ただ、いつかは、教育事業に携わり、自分のように人生が変わる人を増やしたいという思いがあります。ITを教える学校を作るのが理想です。普通のITスクールではなく、ちょっと変わった、自分にしか作れない学校を作りたいです。

あと、ハワイに住むのが夢です(笑)。