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三和システム株式会社 CTO 阿部順一のブログ

もったいない精神について考える

先日、うちのエンジニアKと言い争いになった時の話

あるプロジェクトに区切りがついたことにより使われなくなったリソースがある。壁に設置してある大きめのディスプレイなのだが、それから用途が無くなって電源を落としたままになっていた。

それをKが、「どうせ使ってないなら何か使いましょう」と私に提案。私は「全然良いよ~」と気軽に返事をした。

それから何回かお試しで色んなものが映し出され、起動された状態となっていたのだが、何か違うなーと思い、私はKに「もう消してしまおう」と言った。 どうせ使ってないんだから、消す必要無くないですか?もう少し試しに使ってみましょうよ、などと言われ、そのKとぶつかることになった。

もちろん電気代もたいしてかかってるわけではないし、そんなに厳しく遊び心もなく業務だけしていなさいとか言うつもりもりもない。けど止めたい理由もあった。 話していくうちにKもその理由に納得し、結局ディスプレイは消すことになった。また何かあれば活用する時は来るだろうけども。(その理由はまた別の論点が生まれてしまうから省略する)

「もったいない」から生まれる価値

「使っていないのがもったいないから」から考えられた用途って価値が生まれることはほとんど無いんじゃないかと思う。目的が、「もったいないから使う」になってしまうから。 価値が生まれないばかりか、逆に損害が生まれる場合もある。

今回の件でいくと、電気代、ディスプレイを使うためにかけた工数、が損害になっている。結果、成果が出なかった。

私は小さいころからご飯を一粒も残さない。それは「もったいない精神」ではなくて、綺麗に食べないと気が済まない性格と、作ってくれた人への礼儀のためである。なので、全て食べた上で、何が美味しくて何が不味かった、などの意見(文句?笑)を言う。
だが、店では平気で残す。美味しくなかった時、量が多すぎて自分に合わなかった時、など。

私は学生の頃、調理をするアルバイトを2年くらいしていて、自分が作ったものが残されたかどうか、というのを反省材料としていた。お客様との会話は返ってくるお皿にあると考えていたから。 「もったいないから」無理してでも全て食べる、ということからこの価値は生まれてこない。

やはり、「もったいない」からとった行動は価値を生み出すこともあるし、価値を生み出さないばかりか損害となることもある。

価値は生まれるものではなく生み出すもの。「もったいない」というのは価値を生み出す行動を起こすための小さな小さなきっかけにすぎない。

最後に

今回、ディスプレイの件で成果が出ず損害が出た、と言ったが、私とKがディスカッションすることによってお互いの考えを整理・共有でき、損害以上にもっと大きな価値が得られた。 これも黙っていただけでは何も価値が生まれなかった。上下関係があったとしてもしっかり意見が言えるチームをもっともっと築いていきたい。